2011年7月15日金曜日

【報告】幣会主催 7月3日 大東塾塾友 磯貝正温先生 講演会


 大東塾 磯貝正温先生

昭和維新運動の解説を行う司会進行・幣会最高顧問(救う会愛知代表)




去る7月3日、名古屋・金山神社にて開催された磯貝正温(まさはる)先生の講演会に参加しました。

皇居勤労奉仕は、戦後、空襲の被害を受けた皇居・宮殿の焼け跡を綺麗にすることを国民の有志が申し出たことが始まりであり,それ以降今日まで勤労奉仕は続いています。

海外から観ると、お金を支払って奉仕をするという日本人の行いは理解しがたいもののようです。諸外国にとっても、もちろん日本にとっても、報酬とは労働の対価であり、労働に対して報酬が支払われるのが常識です。
金銭を支払って労働を行う皇居勤労奉仕は、日本国民の皇室への思いの表われであり、労働を介して徳を積む事が何よりもの報酬であるという思想が日本人の心の根づいていることの表れだといえます。

昭和天皇は、昭和20年8月14日、最後の御前会議において、「朕の一身は如何にあらう共、これ以上国民が戦火に斃れることは忍び難い」と仰せになりました。日本の矢面に立ち、日本国民を我が子の様にご寵愛下さる陛下のお気持ちは、勅旨を耳にすることない国民にも自然に伝わっていく。日本国民と天皇陛下の間には深い信頼関係があります。

勤労奉仕を行うには、まず窓明館で清掃作業の指示を頂き作業着に着替えます。女性は白い割烹着を着ることが多く、白鉢巻きが奉仕団の目印になっています。

戦後の占領下、勤労奉仕を行った人達は、水杯を交わしたとそうです。
二度と生きて帰れるかどうか分からない時、最後の杯になるかもしれない時交わす、水杯。カマやシャベル箒を持って表を行く奉仕団は決起した日本人であるとGHQから誤解を招く恐れがあり、最悪の事態に備えて水杯を交わしたのだそうです。当時勤労奉仕をした人々は自己保身よりも皇居への奉仕を重視していたことが計り知れます。

清掃が終了すると、蓮池参集所に集まります。”勤労奉仕をした人に毎回きちんとお礼をしたい”という陛下のご希望でご会釈を賜ることができるのです。天皇陛下の御前に出るときは、礼服を着用するのが原則ですが、清掃奉仕団は泥付きの作業着姿でお目通りが許されます。団体の長が陛下とお言葉を賜りますが、その距離は僅か1mほどで、感極まって涙を流される参加者が殆どだそうです。かつて、”天皇陛下を見てやろう”という目的で、奉仕団に参加したとサヨク青年がいたそうですが、やぱりこの青年も陛下に拝謁した際、感動して涙を流したそうです。参加者が”なぜ泣いたのですか?”と聞くと、”なぜだか分からない”と答えていたとか。

磯貝先生は、

「この純情馬鹿は、体力の続く限り勤労奉仕を続けて行きたい」

と思いを現わされていた。


現在の皇居勤労奉仕は,連続する平日の4日間、皇居と赤坂御用地で清掃、草取りが行われています。しかし近年では、清掃業者が皇居内の清掃を請け負う様になってきており、勤労奉仕団の作業は軽いものになり、満足が得られないと先生は話されていました。
皇居勤労奉仕団に応募できるのは、15名から60名が所属する団体で申請の手続き後、半年間の審査の後に参加の是非が下されます。


最後に、磯貝正温先生が平成十七年皇居歌会始で佳作入選された作品をご紹介します。

お題「歩み」

磯貝正温氏

「かたくなの我を支へて歩みこし妻の大きく見ゆるこのごろ」

http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/utakai-h17.html



by 紫陽子

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